ブログ管理人のプロフィール

当ブログ管理人の 「キヨ」 と申します。

 

工業高専を卒業してから約30年間サラリーマンとして必死に働き続けた後、自身の病気やその他の事情もあって脱サラし、それ以降は今日までネットビジネスと呼ばれる仕事を夢中でやってきましたが、気がつくといつの間にか定年退職を迎える歳になっていました。

 

若い頃は、いずれは外国に出て金髪のおねえちゃんと国際結婚でもして・・・のような夢を懐いていた時期もありましたが、現実はそれほど甘いものではありませんでした!

 

これまで生きてきた中でただ一つ叶った夢といえば、仕事ではありましたが3年間ほどヨーロッパで暮らす事が出来たという事です。

 

という事で、私と英語との関わり合いを中心に私の自己紹介をさせて下さい。

 

31歳の時、産業機器メーカーへ転職

実をいうとこの時期は、学校卒業後最初に就職した会社で約10年が過ぎた頃で、精神的にも肉体的にも一番充実していた頃でした。

 

ですが、それと同時にその会社の将来性について疑問を感じていた時期でもありました。

 

ちょうどそんな時、友人から「いい会社が今募集しているから受けてみないか?」との誘いもあって、その会社の入社試験を受けたところ、「探していた人材とぴったりだ」ということでかなり良い条件で採用して頂く事ができました。

 

突然の海外勤務命令

パスポート

 

32歳の時、突然会社よりベルギー及びフランス工場の立上げメンバーに指名され、海外勤務を言い渡されました!

 

プロジェクト発足当時は、英語に関してはさほど気にしていませんでしたが、研修のためにベルギーからスタッフが来日し、彼らと会話を交わすにつれ、少しずつ自分の英語力の未熟さに気づきはじめました。

 

海外勤務スタート

33歳の時、ベルギー工場が完成し、いよいよ工場立上げのため海外での生活がスタート。

 

駐在開始直後は、工場稼動の為の許可申請手続きや日本から搬入した機材の点検、設置、現地スタッフへの指導などに追われ、会社関係以外のご近所さん達などとの交流はほとんどありませんでした。

 

英語が全く通じない!?

ベルギーのカフェ

 

数週間ほどで工場もなんとか無事に稼動し始め、次は自分たちの生活の基盤を整えるため、まずは買い物をするスーパーや病院、ガソリンスタンドなどの場所を現地スタッフから教えてもらいました。

 

早速近所のお店屋さんへ行き、「Ten eggs and one source, please」と言ってはみたものの全く通じず、結局は店の中を探しまわり、やっとの事で買うことは出来たのですが・・・

 

この時ばかりは、自分の英語は発音が全くダメだと思い、かなり落ち込んだのですが、後で会社のスタッフに聞いたところによると、私が住んでいたところはベルギーの北部にあたり、オランダ語が話されているエリアとのこと。

 

そのため、英語を話せる人もたくさんいるのだが、少し高齢の人だと英語は全く分らないとのことで、ちょっと安心しました!

 

英語力のなさを痛感!!!

買い物などの場合は、言葉が通じなくても欲しいものを探してレジへ持って行きさえすれば、後はレジに表示されたお金を払うだけなのでなんとかなりますが、

 

・風邪をひいて病院へ行ったとき、何をどうすれば良いのか聞いても分からない!

 

・内科の場所を英語で教えてもらっても理解出来ない!

 

・自分の症状を英語で言えないためジェスチャーで伝えたいがなかなか伝わらない!

 

・休みの日に町へ買い物に出て車を駐車する時に、パーキングのシステムを現地の人が一生懸命英語で説明してくれるが理解出来ない!

 

・住んでいたアパートの電気系統にトラブルが発生し、管理人に電話をかけて説明するが、なかなか理解してもらえない!

 

仕事上であれば、日本に来たことのある現地スタッフが、我々日本人の英語レベルを分った上で対応してくれるので、それほど困ることはなかったのですが、日常生活では前述のようないろいろな場面に遭遇し、一つの単語、一つのセンテンスが言えない、又は理解出来ないために、とても苦労したことを今でもはっきりと覚えています。

 

結局は問題を解決するために、トラブルが発生するたびに現地スタッフを呼び出して対応してもらっていたのでなんとかなりましたが、現地スタッフにしてみれば、これほど迷惑なことはなかったと思います。

 

英語学習のやり直し!

英語力のなさを身にしみて痛感した私は、再度英語の学習に取り組む決意をしました。

 

ヨーロッパのど真中に滞在しているのだから、英語の教材のみならずフランス語やドイツ語の生の教材までもが回りにあふれているのだから、いろんな学習の方法があると思いましたが、とりあえずは日本から持参していた英語の教材を片っ端から学習し直すことにしました。

 

当初はどうなる事かと心配したものでしたが、3年目を迎えるころには現地スタッフからも「英語が上手くなったな」とお世辞混じりではあったにしろ言ってもらえる程度には上達したのかな? と勝手に思っていました。

 

ISO9001との関りがその後の財産に!

会社勤めをされている方であれば「ISO9001 品質マネジメントシステム」という言葉を聞いた事があると思いますが、いかがですか?

 

私がベルギーへ赴任していた時期は、1992年のヨーロッパ共同体調印直前のころで、その当時「ヨーロッパ共同体が調印された後は、共同体以外の国から共同体内の国への企業参入は非常に困難になる」との情報から、ベルギー工場の早期設立が急務だったと記憶しています。

 

また、ヨーロッパ内の国の企業との取引には、ISO9001(当時は初版の1987年版)の取得が必須で、品質保証・品質管理責任者として仕事をしていた私が直接担当する事になりました。

 

この当時、ISO9001を取得している日本企業は数えるほどしかなく、私が勤めていた会社の本社自体もISO9001取得の動きさえもしていなかったと思います。

 

ISO9001は、もともとBSI(英国規格協会)が 1979 年に発行した BS5750という規格が基になっていたため、イギリスへもちょくちょく出張していた私にとっては、ISO9001や BS5750に関する情報をBSI(英国規格協会)から直接得る事が出来る環境にあったという訳です。(もちろんベルギー人スタッフの力を借りてですが)

 

ベルギー工場が無事にISO9001の認証を取得した後、日本国内の工場や本社が認証取得する際もかなり貢献できたと思いますし、その後の二度にわたる転職の際も、ISO9001に対する知識が大きな武器となりました!

 

ヨーロッパより帰国後、中国工場立上げへ!

中国

 

ヨーロッパでの生活が3年半ほど過ぎた頃、やっと日本へ戻れることになったのですが、帰国して間もなく、今度は中国工場の立上げを言い渡されました。

 

中国の場合は、駐在ではなく出張ベースでの仕事でしたが、中国語など全くやった事がなかったので途方にくれましたが、運良く香港事務所の現地スタッフが英語での通訳をしてくれることになったので、なんとか仕事をこなす事が出来ました。

 

ベルギー人も英語は母国語ではなかったのですが、香港の人が話す英語もかなり独特な発音だったので最初は苦労しましたが、考えてみれば私自身が喋っている英語はもっとおかしな発音だったに違いありません。

 

世界共通語としての英語の重要性を感じていた私にとって、更に発音の練習にも力を入れる必要性を痛感させられる経験でした。

 

37歳の時、心筋梗塞で死にかける!

中国工場の立上げも終わり、少しはゆっくりできるかな~と思っていた矢先、なんといきなり心筋梗塞の発作に襲われ、救急車で病院へ!

 

救急車の中で隊員たちが小声で話していた言葉「この人もうダメかも」を聞いて、「私の人生もこれで終わるのか」と思った事を、今でも鮮明に覚えています。

 

その時は、運ばれた病院にたまたまカテーテル手術の名医といわれる先生が来られていて、なんとか無事に手術も成功し、通常なら1年ほどの入院生活が必要だったそうですが、私の場合は約3か月後には退院する事が出来ました。

 

44歳の時、電子部品メーカーへ転職

病気の事もありましたが、家庭の事情でどうしても実家へ帰る必要が出てきたため、44歳での転職に不安を抱えつつもそれまでの会社を退職する事となりました。

 

44歳での再就職はさすがに難しく、ハローワークへ行っても自分の条件に合致する会社は皆無でしたが、運よく会ってくれるという会社が現れ、とんとん拍子に採用が決定しました。

 

その会社は、ハローワークへも35歳以下という条件で求人を出していたのですが、ISO9001認証取得の経験者を探していたとの事だったので、本当に運が良かったと思います。

 

その会社へ入社後は、約半年位で無事にISO9001を取得する事ができ、約束は果たせたのですが、その会社が前職の会社と比べると全く専門外の業務内容だったので、管理職の教育係的な仕事をさせて頂いていたのですが、私にとってはあまり充実したものではありませんでした!

 

何かその他の事で会社に貢献できることは無いかといろいろリサーチしていたところ、「インターネットを使ったパソコン教室のフランチャイズ募集」という面白いものを見つけ、社長に提案してみたところ、即OKして頂きました。

 

電子部品メーカーであったにもかかわらず、在職中、「インターネットを使ったパソコン教室」の運営に携わることができ、2年間ほどでしたが充実した日々を送る事ができました。

 

また、この時の生徒さんで出張先のフィリピンから受講されていた方がいらっしゃったのですが、これがきっかけとなりフィリピン人の方も受講して頂くこととなり、ここでは、フィリピン英語に接する機会を得ることができました。

 

48歳の時、半導体製造装置メーカーへ転職

この時の転職は健康上の問題によるものでしたが、この時も運よくISO関連の仕事で採用して頂く事が出来ました。

 

この会社は海外への輸出も多く、たまにではありましたが英会話の能力が要求される場面があり、低価格のオンラインマンツーマンレッスンを数か月間受講する機会を得ることが出来ました!

 

この時が「インターネットを使って海外から英会話レッスンを行うオンライン英会話」との初めての出会いとなりました!

 

ネットビジネスとの出会い、アフィリエイト開始

インターネットビジネス

 

2回目の転職をした頃は経済的にも精神的にも余裕ができ、以前から興味があったホームページの作り方を独学で勉強し、なんとかホームページらしきものを作れるようになっていきました。

 

その後、爆発的なインターネットの普及もあって、ネット上の情報をいろいろ調べているうちに「アフィリエイト」なるものに出会いました。

 

その当時は早い者勝ちの時代で、先にサイトを作ってしまえば誰でも稼げるような時代でしたので、数か月ほどで1ヶ月に50万円ほどの報酬を得られるようになりました。

 

とは言っても「アフィリエイト」そのものを極めたわけでもなく、ただそんな時代だったというだけの理由で稼げていたのだと思います。

 

その当時のアフィリエイト報酬はいずれ無くなるものと思っていましたので、報酬が得られている間に、アフィリエイトに関する教材を片っ端から購入して勉強すると共に、数多くのサイトを立ち上げました。

 

最初に報酬を得られていたサイトは、案の定半年くらい経つと、似たようなサイトが一気に増え、いつの間にか1ヶ月に数千円程度にしかならなくなってしまいました。

 

ところが、その時点で100前後のサイトを立ち上げていたうちのいくつかのサイトに対して企業からの広告依頼が入り始め、徐々に広告収入が増加していく事となりました。

 

50歳の時に脱サラ!

運営していたいくつかのサイトへの広告収入が安定してきた事と、自分の病気の事も考え、約30年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、思い切って脱サラすることを決心しました。

 

ネットビジネスだけの収入に頼って生活する事に対してはかなりの不安もありましたが、妻や子供たちの応援もあって今日まで無事に生活する事が出来ています。

 

その後も一時期の成功(まぐれ当たりですが)が忘れられず何度かアフィリエイトやその他のネットビジネスと呼ばれるものに挑戦しましたが、全て報酬に結びつけることは出来ませんでした。

 

なので現在もアフィリエイト報酬以外の広告収入のみが、私の全収入という形になっています。

 

いつのまにか定年退職を迎える歳に!

その後も広告収入が得られているサイトを徐々に大きくすることで、今日まできてしまいましたが、周りの同級生などは長年勤めた上げた会社で定年を迎え、定年退職後は退職金で旅行や趣味などを楽しんでいるようです。

 

そんな姿を見せつけられると、

私はいつまでこの仕事を続けていけば良いのか?

年金はいつからもらうようにすればよいのか?

など最近はそんな事ばかり考えるようになってきました。

 

年金を頂けるようになるのはまだ数年先の事ですが、遊んで暮らせるほどの年金をもらえるわけではないので、収入の一つとして5万円~10万円程度の報酬が得られるアフィリエイトサイトを作れないかといろいろ模索しているところです。

 

また、脱サラしてからは会社の同僚と飲みに行くという事もなくなり、最近は特に孤独を感じるようになってきました。

 

そこで、以前から始めては止め、また始めては止めていたインターネット上の英会話スクール(オンライン英会話)の受講を再開し、長年の夢でもあった海外の人と楽しく話して交流することを目指したいと思っています。

 

私と似たような境遇の方がいらしたら、このブログを通じて交流できれば最高なのですが、とりあえず自分に出来そうな事を見つけて、いろいろと挑戦していきたいと思います。

 

どうぞ宜しくお願い致します。